ゆだねる
その人の片目が静かに開いた。私に気が付いたようで、ゆっくり、もう片方の目も開き、しっかりと私を認識したようだった。
その目は、まるで母親を見るような眼差しで、純粋だった。
体はやせ細り、呼吸をするためだけに生きているような姿だったが、その人は私を見て、力強く私の名前を呼んだ。
それ以外の言葉はこの世に存在していないかのように。
私は、今まで感じた事がないくらい、自分がとても尊い存在であるかのように感じた。
その人はあくびをし、再び目を閉じて、また別の世界に戻っていった。
ある人が「大きい問題を抱えている時、答えがすぐに欲しい時、ほとんど、すぐには答えが見つからない。そして、私たちがどんなに願ったとしても、そのようにならないこともある。この世で私たちにできることは、ほんの少ししかない。だけど、どんな状況の時にも、常に側にいてくれる存在が必ずいる。そのことに感謝をし、目の前の事実を受け入れること。」
この話を聞いた時、日頃からお世話になっている先生が「考えていても仕方がない。あとは、天におゆだねする。」と常日頃、話していたことを思い出した。
心が、元のあるべき場所に戻っていき、しっかりと歩くことができるような気持ちになった。

今日は、海外出身の友人と会って、話をした。
彼女は友人というより、本当の姉のような存在で、彼女も私を本当の家族と思って接してくれている。
だからなのか、普段の私なら絶対に言わないようなことでも、いつの間にか、彼女には話してしまっている。
思ったことをそのまま口にしているためか「あなたは、日本人じゃない。」と冗談交じりで言われたりもする。ときには、危なっかしい私を「そんなことはしないでちょうだい。お願い。」と言って、ストップをかけてくれたりもする。
友人がほとんどいない私は、いつも彼女に甘えてしまっていると思う。
彼女は私に「あなたは、弱い人だと思うから、あなたのことが心配。」というようなことを言った。
そうかな?と思ったが、すぐに、そうかも、とも思った。
確かに、私は弱さを見せずに生きていた時もあったし、人に寄りかかって生きていた時もあった。
強くあらねばと思って生きていた時は、すべてを自分で解決してきたと思っていたが「自分一人で頑張ってきたと思うようなことでも、誰かがいたから頑張れたということもある。それに、その頑張りが、本当に良かったことかどうかもわからない。」と教えてくれた人もいた。
そんな、色々な出来事があり、出会いと言葉に助けられ、肩の力を入れずに、自然に任せて生きてもいいのかもしれないと思うようになった。
今は、以前より、少しだけ生きるのが楽になった。
